最高裁判所第一小法廷 昭和52年(オ)1312号 判決 1978年6月15日
上告人
根岸スエ
被上告人
桜井キミエ
他一名
"
主文
上告人の本訴請求中予備的請求を棄却した部分に関する原判決を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
上告人のその余の上告を棄却する。
前項の上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人石川功の上告理由一について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同二について
原審の適法に確定したところによれば、昭和四三年一二月二〇日、当時七四歳の高齢で活動力も失つていた訴外根岸誠二は、被上告人櫻井の愛情と努力に感謝し、かつ、同訴外人のなきあと養女である訴外根岸克子の面倒を同被上告人にみてもらうため、自己の全財産である本件不動産につき、その二分の一の持分を同被上告人に、二分の一の持分を訴外根岸克子に、それぞれ贈与した、というのである。
民法一〇三〇条後段の「損害を加えることを知つて」とは、法律の知不知を問わず客観的に遺留分権利者に損害を加えるべき事実関係を知ることを意味するものであるから、前記事実関係のもとにおいては、被上告人櫻井は、特段の事情のないかぎり、訴外根岸誠二の全財産が贈与されること、ひいては遺留分権利者に損害を加えることを知つて、贈与を受けたものとみるのが相当である。しかるに、原判決が、特段の事情について判示することなく、右各贈与の趣旨が前叙認定の如きものであつたことにかんがみると、被上告人櫻井としては、訴外根岸誠二の全財産の二分の一の持分の贈与を受けるにすぎず、なお、二分の一の持分が同訴外人のもとに留保されているのであるから相続人の遺留分を侵害することはないと考えて右持分の贈与を受けたものとみるのが相当である、と判断したのは、理由不備の違法があるものといわなければならない。論旨は理由がある。よつて、主文第一項掲記の部分につき原判決を破棄し、前示の点につき更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻すこととするが、上告人のその余の上告はこれを棄却することとし、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
上告代理人石川功の上告理由
一、上告理由第一
原判決は上告人の主位的請求に対し妾契約の法律解釈を誤り請求棄却せる違法あり
原判決理由第二項では1乃至7の事実を認定した上
「以上のように亡誠二と控訴人間の婚姻関係が破綻して久しきにわたり しかもその間被控訴人桜井において誠二を扶養して来たというような叙上の状況下にあつては誠二より同被控訴人に対する本件贈与を目して公序良俗に反するものとはいえない」
と判断し
而も原判決理由第二項3では単に
「その後誠二と控訴人の夫婦仲が悪くなり紛争の絶間がない有様となつた」
と云ふのみで夫婦仲が悪くなつた原因を究明せず 上告人に捨てられて老令の誠二を死亡迄世話をした事により妾関係が正当化され、妾契約に基く本件贈与は公序良俗に反しないと判断しているし
原判決理由第二項4では
「被控訴人桜井は芸妓置屋をしている叔母の養女であり、叔母の家を出て鎌倉市へ昭和三二年に居をかまへたが その住居は誠二の世話によるもの」
と判断し 極力被上告人桜井の立場を擁護し同女と誠二との関係の美化に努めている
然し乍ら
1 成立に争いなき甲第四号証(原告根岸誠二被告上告人間横浜地裁横須賀支部昭和三六年(タ)第七号離婚事件の判決)に依ると
「原被告の夫婦関係が破綻した直接の原因は原告がいわゆる女癖が悪く婚姻につい定見を欠き昭和三二年初頃から熱海で芸者をしていたことのある桜井キミエと関係を結んで間もなく同女を鎌倉市にいわゆる妾として囲ひ 昭和三三年六月頃から同女と同棲を始めたことによることを認めることができ 他に以上の認定を動かすに足る証拠はない」と極めて明快に判断し誠二の上告人に対する離婚請求を排除すると共に誠二と上告人との夫婦関係破綻の原因は誠二と被上告人桜井との妾関係及それに依る同棲生活にありと断定している
右判断からすれば被上告人桜井は誠二と妾契約をなし同棲し誠二と上告人との正常な夫婦関係を崩壊させたものであり 正にその妾契約は典型的な公序良俗に反するものである
2 原判決理由第二項5、6、7では
被上告人桜井が私財を投して誠二の生活を支へた 誠二が八〇才で死亡する迄世話をして感謝された 誠二も同女に愛情を持つた等の事実を認定し誠二と被上告人との妾契約の反公序良俗性は払拭されたと判断しているがもし誠二と被上告人桜井との妾契約がなかりせば再び上告人との間の正常な夫婦関係に戻り得る可能性がないとは断定し得ず 有婦の男性と妾契約を結び妻たる上告人の存在を無視し永年同棲を続け 誠二と上告人との間の円満復帰の可能性さへも消滅させた点を考へる時被上告人桜井の行為は被告人に対し正常な夫婦関係の破綻を招来し極めて重大な被害を与へたと云ひ得るのであり 同女の仍ての行為が誠二に対する奉仕と見た部分があつたにせよ全体として考へれば正常な夫婦関係崩壊を招来した事は明白であり その妾契約が社会秩序から見て法律の保護に値する善良なものと云ひ得る余地は全く見当らない
3 原判決理由第二項5では
「誠二の収入が「海の家」と煙草の小売のみで昭和三八年からみかど食堂の賃料が入つたが 生活費の不足を補ふため被控訴人桜井が自己の貯金をはたき自分の着物等動産も相当処分した」
と判断している。
然し熱海で芸妓をしていた被上告人桜井が多額の貯金、動産を所持したとは考へられないし、仮りに相当の私財を有したとすれば誠二と妾契約を結ぶのは不可思議であり、社会通念に反する
成立に争なき甲第十号証(原告上告人被告根岸誠二間横浜地裁横須賀支部昭和三六年(ワ)第四一号生活費支払請求事件の判決)にはその判決理由中
「昭和三三年四月二一日被告が原告を相手方として横浜家裁横須賀支部に離婚の調停申立をなしそれが同年六月三〇日不調に終つた」
「右離婚調停が不調に終ると被告は当時原告と住んでいた〓子駅前のみかど食堂から出て原告と別居し桜井房江と同棲をはじめ みかど食堂を三協商事有限会社に貸してしまつたので原告は住居に困り昭和三三年七月四日原告の義兄猪股作二郎が原告を代理して被告及被告代理人並木弁護士と会合し みかど食堂の二階二間を原告が使用出来る事を取決めた外被告から原告へ別居期間中生活費として毎月一万円ずつ支払うことが約定された」
とある通り 誠二がみかど食堂を三協に賃貸したのは昭和三三年で場所柄から云つて相当多額の賃料でありそれに「海の家」及煙草小売の収入等を加へれば誠二の生活は充分に成り立ち 妾である被上告人桜井が私財を投し誠二の生活を支へる如き事はあり得ず
原判決理由は被上告人桜井の行為を正当化する為め 例へばみかど食堂の賃料収入が昭和三三年から発生せるを特に歪曲して昭和三八年からにする等故意に間違つた事実認定而も社会通念に反する判断をしている
4 而も原判決理由では被上告人桜井の行為の正当化を急ぐ余り上告人が蒙つた被害を完全に無視している
上告人は
(1) みかど食堂を前記の通り昭和三三年に誠二が三協商事に賃貸して了い生活の基盤を失ひ
(2) 上告人一審供述により成立を認め得る甲第九号証の通り海の家の権利も昭和三三年一月一六日誠二に取戻され 収入源を全く失い(海の家の権利は昭和三八年に被上告人桜井名義となる―甲九)
(3) 前記甲第十号証の判決の通り みかど食堂二階二間の使用を許され住居は出来たが月額一万円の支給では到底生活出来ず
(4) もし本訴で敗訴せんかみかど食堂の建物は完全に被上告人桜井と根岸克子の所有となり 上告人は住居さへも失ふ悲惨な結果となる
5 以上の事実からすれば誠二と被上告人桜井との妾契約及それによる同棲生活で上告人と誠二との正常な夫婦関係を崩壊させたのみならず みかど食堂を上告人経営から取り上げ三協商事に賃貸し 海の家の権利をも上告人から取り上げ 以つて右賃料等の収入で妾生活の維持を計ると共に上告人を無収入の困窮に追いこんだもの故 右妾契約は明白に公序良俗に反しそれに伴ふ本件贈与も反公序良俗であり無効であり民法七〇八条但書により上告人がその贈与の無効を主張し所有権移転登記等の抹消登記手続を求める事は当然許される権利であり 此れを排斥した原判決は本件の妾契約及之れに伴ふ本件贈与契約の解釈を誤つた違法があり 破毀さるべきである
6 尚第一審判決理由でも
「本件贈与は公序良俗に反し無効である」
と判断している
二、上告理由第二、
原判決は上告人の予備的請求に対し民法一〇三〇条後段の規定の解釈を誤り請求棄却せる違法あり
原判決理由第三項で
「被控訴人桜井としては誠二の全財産の二分の一の持分の贈与を受けたるにすぎず なほ二分の一の持分が誠二のもとに留保されているのであるから相続人の遺留分を侵害することはないと考へて右持分の贈与を受けたものとみるのが相当である」
と判断している
右判断は左記の理由で根本的に誤つている
その理由
1 甲第九号証の通り誠二が上告人から昭和三三年一月一六日取戻した「海の家」の権利を昭和三八年に被上告人桜井に与へており
甲第五、六、七号証の通り、誠二は残りの全財産である本件土地建物に付昭和四三年一二月二〇日
持分二分の一を被上告人桜井に
持分二分の一を根岸克子に
贈与し同日横浜地方法務局横須賀支局受付第二九二七八号で一緒に一個の登記申請書で所有権移転登記手続を執つている
従つて被上告人桜井も根岸克子もその登記手続に一緒に参加し 被上告人桜井は自分が贈与を受けた持分二分の一の残りの持分二分の一が根岸克子に贈与された事を承知の上所有権移転登記を受けている
従つて被上告人桜井が持分二分の一の贈与を受けた時残りの持分二分の一がなほ誠二のもとに留保されてはいるし、又被上告人桜井が残りの持分二分の一が誠二のもとに留保されておると考へて右持分の贈与を受けたものと考へ得る道理はない
2 甲第五号証乙区欄三一番で被上告人桜井は根岸克子と共同で受贈され土地に付昭和四四年五月九日横浜地方法務局横須賀支局受付第一一九一七号で贈与税及その利息税支払の為根岸克子と共同で債権者大蔵省のため抵当権設定登記手続をしている
此の事からしても被上告人桜井も根岸克子も自分が受贈した持分二分の一の残りの持分二分の一が二人の内の一人に贈与された事を知つており 而も贈与は同時に為され誠二のもとには一切財産が留保されていることを明確に認識している
3 前記原判決理由第三項の如き判断が為される場合は先づ誠二が被上告人桜井に全財産の持分二分の一を贈与し
残りの持分二分の一を誠二のもとに留保しておき 後日根岸克子にその残余の持分二分の一を贈与した場合であり
本件の場合斯る判断はなし得ない
4 以上の事実からすれば被上告人桜井が誠二の全財産の持分二分の一の贈与を受ける際一緒に残りの持分二分の一も根岸克子に贈与され 誠二の下には財産は皆無であり、相続人である上告人の受くる誠二の財産は皆無で相続人である上告人の遺留分を侵害する事を知つて持分の贈与を被上告人桜井が受けたと判断する事が正当であり
原判決理由は民法一〇三〇条後段の法律解釈を誤つており 破毀さるべきである